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阿月の神明祭

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年3月23日更新
神明祭 一件

平成21年3月11日指定

柳井市阿月2135の1
神明祭顕彰会
阿月の神明祭

 阿月東西の両海岸で、毎年小正月(旧正月14・15日)-但し現在は2月11日-に盛大な火祭りが行われるが、これが神明祭である。

 これは、正保元年(1644)浦就昌が、阿月の領主として移封とともに伝えられたという。
 神明祭は左義長という宮中の行事に似た「トンド」という小正月の民間行事で、年頭にその年の収穫の豊かなことを願う、予祝的行事である。

 その形式や規模からして、全国でもまれなものといわれる。『注進案』によると、文禄・慶長の役に小早川隆景に従って出陣した浦景継が、伊勢神宮に戦勝を祈願して大勝を得たことに神明祭の起源を求めているが定かではない。

 阿月の東西両集落の海浜二ヶ所に、天照皇太神宮並びに豊受大神宮があるが、この二社の前の浜に、旧正月14日、松、竹、椎、裏白、梅、橙、皇太神宮の大麻(阿月集落全体から持ち寄る)ならびに扇等をもって、高さ約14メートルの御神体各一基を巻き立てる。
 ついで15日末明、古式に則る神祭を行なうがライマックスは、若者たちによる雄壮な御神体の起こし立てである。

 この御神体は、戦前までは東西各二基(大神明・小神明といわれていた)を立てていたが、昭和16年以降東西とも大神明各一基となり、その規模も小さくなった。

 さて、この御神体を囲んで、昼夜二回未婚の男女による神明おどりが行なわれるが、15日夜の終祭が満月の下で行なわれ、最後の夜おどりが終ると、若連中が裸ん坊で御神体のまわりを囲み、氏子総代の合図で御神体の四方から火を放つ。そして、脚松を引き出して「シャンノシャンノシャン」と三回となえ、拍手しながら、豊作と災厄除去を祈りつつま祭儀を終わる。

 この祭りは、単なる浦家の祭事ではなく、阿月全集落民によって今日まで連綿と伝承されてきたものである。



(参考)文化庁報道資料より『文化財の概要』