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市長コラム(平成27年7月23日)

更新日:2015年7月23日更新 印刷ページ表示

市長コラム「柳井で暮らす幸せ」

戦後70年を迎えて

 4月23日の本コラムにおいて、80代後半の一人暮らしの女性が、関東在住の娘さんから近くの施設へ移るよう促されていたけれども、最終的に住み慣れた大畠に留まることを決心され、現在は、地域の方々にも支えられ充実した日々を過ごされていることをご紹介しました。
 その方からお伺いしたのが、終戦直前の1945(昭和20)年7月28日に、本市伊陸へ墜落した米軍機のお話でした。機長のトーマス・カートライト(当時19才)他8名の乗組員を乗せて沖縄を発した米軍のB24爆撃機ロンサム・レディ号は、呉沖で戦艦榛名からの対空砲火を受けて、当時の伊陸村久可地へ墜落しました。乗組員はパラシュートで脱出し、捕虜となりました。「男性は兵隊に出ていたこともあり、その場に居合わせた住民はほとんどが女性であったが、傷の手当てをされた方もあり、本来憎むべき敵兵に対して危害を加えることはなかった。」とのことでした。その後、広島へ移送された米兵6名は8月6日の原爆により死亡。広島を経由して東京へ移送されたカートライト氏は、米国へ帰国後、テキサス州の大学で教鞭を取るなどされ、本年1月にユタ州の自宅で90歳にてお亡くなりになられています。氏は、1999(平成11)年には、同僚の慰霊のため伊陸や広島を訪ね、また日米交流にも努められました。
 戦後70年の節目を迎え、改めて全ての戦没者の御霊の安からんことをお祈りします。また、戦後生まれが全人口の80%・1億人を超え、悲惨な戦争の記憶が薄れつつあるなか、今一度、今日の日本国及び本市の平和と繁栄は、先の大戦によって命を失われた方々の尊い犠牲とそのご遺族の方々の深い悲しみの上にあることを胸に刻み、原爆の悲惨さや本市で起きた出来事も含め、次の世代に語り継いでいくことの大切さを市民の皆様と共有したいと願います。
 なお、現在米国にて、広島に捕虜として拘束中に原爆の犠牲になった米兵の足跡をたどる映画が制作中とのことで、来月にはそのクルーが伊陸の現地を訪れ、撮影も行われる予定です。

柳井市長  井原健太郎