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柳井市名誉市民

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年5月31日更新

柳井市名誉市民とは

柳井市名誉市民条例に基づき、市民または市と特別に縁故の深い者のうち、市の発展、市民福祉の増進に貢献した方または政治、経済、学術、文化等の分野で広く全国的・国際的に優れた功績と名声をあげた方で、市民が郷土の誇りとして等しく尊敬するに値すると認める方に対して、その栄誉をたたえて名誉市民の称号を贈っています。

名誉市民は、市長が議会の同意を得て選定します。

今日まで、名誉市民になられたのは、次の5人の方々です。

松島まつしま 詩子うたこ 氏 (本名:内海うつみ シマ 氏)

松島詩子氏

明治38年5月12日生(平成8年11月19日逝去)

平成3年3月27日選定

功績概要

 柳井高等女学校を卒業後、柳井、日積各尋常高等小学校をはじめ、小学校、女学校の教師として子弟の教育に情熱をそそがれました。
 その後、昭和7年に歌手としてデビュー、「マロニエの木蔭」など、数々のヒット曲を発表されました。この間、NHK紅白歌合戦に第1回から10回出場、さらに日本レコード大賞特別賞、日本演歌大賞特別功労賞を受賞されました。
 本市から遠く離れた東京にあって、歌手として華やかなスポットライトを浴び大活躍をされながらも、ふるさと柳井をこよなく愛し、郷土を想う心で多くの後輩の音楽指導にあたるとともに、柳井小学校、伊陸小学校、柳井中学校等の校歌を作曲されるなど、本市教育界の発展と地域文化の向上に尽力されました。

白地しらじ 照彦てるひこ 氏

白地照彦氏

大正5年4月8日生(平成7年3月16日逝去)

平成7年3月16日選定

功績概要

  昭和22年の日積村議会議員当選から45年間、その卓越した識見と政治手腕を発揮され、地方自治の振興と本市の発展に貢献されました。
昭和29年3月31日の旧柳井市制施行にあたっては、日積村長として、各町村の合併による旧柳井市の誕生に日夜奔走されました。
 また、昭和34年から山口県議会議員を3期歴任、山口県政の振興発展に尽力されました。そして、昭和48年2月に柳井市長に就任され、平成5年2月まで5期20年間にわたり、都市基盤の整備や産業振興、市民福祉の向上のため、邁進されました。
 市長在任中は、古開作土地区画整理事業の推進、広域利水事業や石井ダムなどの水資源開発、柳井湾開発及び中国電力株式会社柳井発電所の誘致、サンビームやない・柳井市民球場の建設など、大型事業に積極的に取り組まれるとともに、ゴミ焼却場・し尿処理場の建設をはじめとする広域行政の推進にも尽力されました。

小松こまつ 茂美しげみ 氏

小松茂美氏

大正14年3月30日生(平成22年5月21日逝去)

平成10年12月24日選定

功績概要

 昭和17年に山口県立柳井中学校(現在の柳井高等学校)を卒業後、昭和28年に東京国立博物館学芸部美術課に就職、在職当初から全国に散逸した貴重な文化遺産である古筆切を探し求め、18年余の歳月を費やし自ら撮影行脚して、その実数4万枚余にも及ぶ中から厳選して分類整理をし、古筆学として学問的に位置付けをされ、我が国の芸術文化の振興に大きく貢献されました。
 また、多数の著書を図書館に「小松茂美文庫」としてご寄贈いただき、全国唯一の専門文庫として柳井市民はもちろん広く県民にも利用されています。
 さらに、多年にわたり柳井市文化財審議会委員として、文化財の保護及び活用に関する専門的事項を積極的に審議提言されるなど、本市の芸術文化、社会教育の振興発展に尽力されました。

平井ひらい とおる 氏

平井龍氏

大正15年1月3日生(平成20年2月17日逝去)

平成12年3月13日選定

功績概要

 昭和23年に東京大学法学部を卒業後、同年総理庁官房自治課に入職、自治省財政局調査課長、税務局市町村税課長等要職を歴任された後、昭和40年に山口県総務部長に就任、昭和49年から昭和51年までは山口県副知事を務められました。
 さらに、昭和51年に山口県知事に就任、5期20年間にわたり、その卓越した識見と優れた政治力をもって、山口県の発展と県民福祉の向上に尽力されました。
 知事在任中は、「市町村の発展なくして、県勢の発展なし」「地方の発展なくして、国勢の発展なし」という理念の下、人口の定住促進、中核都市づくり、心のかよう福祉の推進、農山漁村の活性化等にいかんなく力量を発揮され、21世紀に向けた山口県の新たな発展の基盤を築かれました。とりわけ、柳井湾開発、広域利水、ウェルネスパーク事業等本市事業の推進にも、多大なるご支援をいただきました。

田舛たます 彦介ひこすけ 氏

田舛彦介氏

大正9年8月20日生(平成16年7月22日逝去)

平成15年12月8日選定

功績概要

 昭和13年に柳井町立柳井商業学校(現在の柳井商工高等学校)を卒業後、昭和21年の全日本卓球選手権大会に出場し、男子シングルスの部、男子ダブルスの部で準優勝を、混合ダブルスの部で第3位に入賞され、昭和24年の同大会においても、混合ダブルスの部で優勝を、男子シングルスの部では第3位に入賞されました。また、昭和28年の全国都市対抗卓球大会(マッカーサー杯)に柳井町のメンバーとして出場し、団体優勝をされました。
 選手引退後も、山口県卓球協会理事長、日本卓球協会理事、日本卓球協会常務理事、山口県卓球協会最高顧問、日本卓球協会顧問の要職を歴任されるとともに、卓球用具の製造、月刊卓球指導誌の創刊等を通じ、若手選手の育成に努められるなど、卓球界の発展と競技人口の普及拡大に尽力されました。
 さらに、本市で開催される西日本卓球選手権大会においても、大会の充実発展を図るべく、国内外の優秀選手の招聘に力を注がれました。