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僧月性史跡

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年6月21日更新

僧月性墓

昭和54年3月20日指定

柳井市遠崎729
妙円寺

僧月性墓の写真
 妙円寺本堂の西側境内、三段の礎石の上に高さ102.5cm、幅92cm、厚さ43cmの墓碑が立つ。
 正面に「清狂師之墓」の陰刻のほかに文字はない。この墓がいつごろ誰の手によって建立されたか明らかではないが、後方に琴石山,三ヶ岳を眺め、簡素ななかにも堂々とした師の風格をしのばせるこの墓碑は、周囲の樹木の中に調和して静かにたたずんでいる。

 命日は、旧暦の5月10日、新暦6月19日である。

顕彰碑

昭和54年3月20日指定
柳井市遠崎729
妙円寺

僧月性顕彰碑の写真
 清狂草堂の北側の庭に立つこの顕彰碑は,縦246.4cm、横116.5cm、厚さ48cmの一枚石の花崗岩で、師の50回忌を記念して明治40年(1907)12月に建立された。

 篆額の「贈正四位月性師碑」は毛利元昭、碑文は山県有朋の撰で、はじめに「余年甫めて十六、鈴木高鞆に従って月性を長門清光寺に訪う。月性高鞆と談尊攘の事に及ぶ、意気激昂、津々として巳まず。余甚だ之を壮とす」とある。筆は周防国徳山の赤松連城による。

 また文中「独り月性方外(僧)の身を以て憤慨義を唱え、君を愛し国を憂うる己に私より甚し」とあり、月性の減死奉公の精神が述べられている。

清狂草堂

昭和54年3月20日指定
柳井市遠崎729
妙円寺

清狂草堂の写真
 嘉永元年(1848)妙円寺境内に私塾清狂草堂(時習館)を開塾した。師32歳の春であった。

開塾とともに遠近各地からその学徳を慕って入塾する者が多く、維新史上に多大の業績を残した人材を多数輩出した。

明治23年、師の三十三回忌にあたり、大洲鉄然、入江石泉、天地哲雄等の門弟によって旧草堂を模し、記念館として建てられたものが現在の草堂である。

その名のとおり茅葺の六畳、四畳半二間だが、西の松下村塾と並ぶ東の草堂としての風格がある。損傷著しく、平成11年県内外の方々の浄財により全面補修を行った。

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