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柳井市のプロフィール

更新日:2019年4月1日更新 印刷ページ表示

市民の力で支えあい、一人ひとりが主役の笑顔あふれるまち柳井

 

概略

 柳井市は、山口県の南東部に位置し、沿岸部、内陸部、半島・島しょ部からなり、総面積の半分以上が山地丘陵地で占められています。沿岸部一帯の土地は、北側の山地から南に向けて傾斜し、市街地は、その南側の平坦部と海岸に沿って形成されています。北部の内陸部には、山稜に囲まれて盆地が分布し、農山村集落が散在しています。半島・島しょ部は、比較的急峻な丘陵地が入り組んで海岸線に迫る変化に富んだ地形をなしており、瀬戸内海国立公園にも指定された自然景観を有しています。

位置及び地勢

 山口県の南東部に位置し、東と北は岩国市、西は田布施町及び平生町、南は室津半島の半ばで上関町に接し、瀬戸内海に面しています。
 面積は、140.05平方キロメートルとなっています。土地利用は、山林が56.4%と最も多く、次いで農用地23.7%、宅地6.7%の順となっています。

柳井市の位置図です

気象

 瀬戸内海型気候区に属し、冬も温暖で比較的雨の少ない過しやすい気候です。年平均気温は、沿岸部で15℃から16℃、標高500mの山々の北部に位置する山間部では14℃から15℃とやや低くなっています。また、年間降雨量は、1,600mmから1,700mm程度です。

変遷

 古くは縄文時代から人々の営みがあり、日本最大級の大鏡が出土した茶臼山古墳など多くの遺跡や史跡が残され、海と深いかかわりを持ちながら多彩で豊かな歴史をつむいできました。また、大畠瀬戸は、日本三大潮流として知られ、万葉集にも登場しています。
 中世に入ると瀬戸内の良港であった柳井津は、周防国における海上交通の要衝として重要視され、江戸時代には、瀬戸内屈指の商都として発展し繁華を誇っていました。
 幕末・維新の時代になると、この地域から、優れた詩人でもあった僧月性や秋良敦之助、白井小助などの多くの志士が輩出し回天の偉業をなしています。
 その後、明治期から戦後を通じても商業・卸売業や農漁業などの産業を中心に発展を続けてきました。昭和30年代に金属・機械器具製造業などの都市型工業が定着し、豊かな自然と恵まれた気候・風土のもとで、産業と都市機能の充実を図りながら発展を遂げてきました。