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柳井市古市・金屋 伝統的建造物群保存地区 昭和59年12月10日選定 柳井市柳井津 (古市・金屋筋) | |||
「珍しい町の風景だ。近年、こういう古めかしい場所がだんだん少なくなっている。世に有名なのは伊豆の下田と備中の倉敷だが、ここにもそれに負けないような土蔵造りの家が並んでいる。歩いている人間も静かなものだし、店の暗い奥に座っている商人の姿も、まるで明治時代からその慣習を受けついでいるような格好であった。…」 ―松本清張『花実のない森』の中に出てくる柳井の風景― 柳井津の地名が始めて文献に現れるものは、『玖珂郡志』で、足利将軍家が明応9年(1500)12月晦日柳井津に投宿、年が明けて山口に移っている。このころから柳井津は、将軍家に宿舎を提供するだけの立派な港町であった。 現在の古市・金屋の白壁の町並みは、中世室町時代の町割がそのまま今日も生きていることで有名だ。 今日の古市・金屋筋は、東西に通じる約200メートルの町並みであるが、この細かい通りの南北両側に、ぎっしりと江戸時代中期から明治初期にかけての、伝統的建造物が立ち並んでいる。 白壁しっくいの土蔵造り、入母屋の妻入り。玄関を中に入ると短柵型の屋敷はその長さが80メートルにも及ぶものがある。この建造物群の中には、江戸中期以前の建物が4・5戸のほか、重要文化財の国森家をはじめ、小田家・佐川家など近世柳井商人の活躍を物語る典型的な町家が40数戸もある。 元禄の昔から瀬戸内屈指の商都として名をはせたのは、この町筋が基点であった。その商いの中心は、柳井木綿、油、和ろうそく、金物、醤油、塩などであったが、交易の範囲は、領内はもちろん、九州五島から大阪にまで及んでいる。 | |||