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伊陸糸あやつり人形芝居

更新日:2012年3月23日更新 印刷ページ表示
伊陸糸あやつり人形芝居

昭和48年8月30日指定

伊陸系操り人形保存会

伊陸糸あやつり人形芝居

この糸あやつり人形芝居は、はじめ熊毛郡平生町の永田増次郎が慶応2年(1866)ごろ、出雲から伝えたものであって、通称「マシーデコ」と呼ばれ、社寺などの盛り場で公演して人気を博した。

 それを伊陸の福重槌三郎が明治中期ごろ、独自の工夫を加えて「ミチーデコ」を考案し、県内はもちろん、遠く神戸方面から朝鮮半島にもわたり、公演回数は2000回にも及んだ。
 昭和36年以後、海部屋一座・藤川一座が上演し今日に至っている。

 伊陸系あやつり人形芝居は、海部屋治郎(芸名・梅中軒梅若)が大正15年岩国市由宇町の質屋から、広島の人形作者の作品28体の人形を購入して始めたものだが、その公演回数は3000回を突破している。

 系統は「ミチーデコ」であるが、その特長は次のとおり。

  1. ミチーデコと同系だが、人形(デコ)が桐(きり)の頭(かしら)である。
  2. 浪花節(なにわぶし)を地方(じかた)にしている。(福重槌三郎以来)
  3. 公演に便利なように組立式舞台を創案している。(同上)
  4. 出雲系の操り方。全長約60cmの人形に5本の糸をつけT字形とU字形の手棒を用いる。 その技術とセンスは独創性豊かである。

 上演演目は「義士伝」をはじめ50種にも及ぶ。

 現在は伊陸小学校児童が部活動に取り入れ、一座の指導を受けて伝承に励んでいる。

  (参考) 豊笑座(ほうしょうざ)の糸あやつり人形芝居
 永田増次郎といっしょに今井広吉が上演していたが、今井は芸名を福助といい、柳井石原の浄瑠璃連(じょうるりれん)と「豊笑座(ほうしょうざ)」を結成し、昭和15年まで上演していた。

 福助没後途絶えたが、同座が上演した人形32体が、昭和54年6月4日所有者河村新作氏から柳井市教委に寄贈され、保存されている。