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伊陸糸あやつり人形芝居 昭和48年8月30日指定 伊陸系操り人形保存会 | |||||
この糸あやつり人形芝居は、はじめ熊毛郡平生町の永田増次郎が慶応2年(1866)ごろ、出雲から伝えたものであって、通称「マシーデコ」と呼ばれ、社寺などの盛り場で公演して人気を博した。 それを伊陸の福重槌三郎が明治中期ごろ、独自の工夫を加えて「ミチーデコ」を考案し、県内はもちろん、遠く神戸方面から朝鮮半島にもわたり、公演回数は2000回にも及んだ。 伊陸系あやつり人形芝居は、海部屋治郎(芸名・梅中軒梅若)が大正15年岩国市由宇町の質屋から、広島の人形作者の作品28体の人形を購入して始めたものだが、その公演回数は3000回を突破している。 系統は「ミチーデコ」であるが、その特長は次のとおり。
上演演目は「義士伝」をはじめ50種にも及ぶ。 現在は伊陸小学校児童が部活動に取り入れ、一座の指導を受けて伝承に励んでいる。 (参考) 豊笑座(ほうしょうざ)の糸あやつり人形芝居 福助没後途絶えたが、同座が上演した人形32体が、昭和54年6月4日所有者河村新作氏から柳井市教委に寄贈され、保存されている。 | |||||