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柳井まつりの沿革

更新日:2014年12月22日更新 印刷ページ表示
花傘踊り

 昭和29年の柳井市制発足を記念して、昭和30年12月に「農村感謝祭」として、当時の青年商工会が主催し、商店街を中心に多彩な行事を実施して好評を博しました。
 翌年から「柳井産業祭」として柳井市が主催し、商業、工業、農業の各種展示会や、全国有名芸能の招聘等で毎年盛り上がりました。開催時期も毎年12月(農家の取り入れ終了後の時期)を中心に開催されました。
 昭和38年には従来の物産展示会のほか、メイン行事として柳井音頭の歌詞を募集し、三橋美智也の唄でレコードを作成し、その発表会を兼ねて盛大に実施されました。これに振り付けをして柳井の踊りとし、さらに各種団体のシャギリ、バトントワラーズ、仮装行列などが加わりました。
 昭和41年「柳井まつり」と改称し、協賛会規約を制定し、展示部(市経済部)、行事部(商工会議所)、教育部(教育委員会)、総務部(市総務部)が組織されました。
 昭和43年には、柳井音頭の手踊りから、柳扇会(山村流、若柳流、藤間流、花柳流など踊りの社中の連合組織)による振り付けを加えた「花傘おどり」が始まり、昭和52年から、市内の子ども会から「子どもみこし」が参加するようになりました。そのほか「お祭り広場」や、白壁通りでは「白壁江戸祭」など、多彩なイベントが行われるようになりました。
 平成14年からは、それまでの複数日開催から、11月23日の1日開催に変更され、現在に至っています。